君よ拭け、熱きオレの涙を・・・・だったっけ?・・ち、違うな。 もしくは、君に幸あれ [Movies]
俺にはわかる
ミルクの中にいる蝿、その白と黒はよくわかる、
俺にもわかる
俺にはわかる
どんな人かは、着ているものでわかる、
そのくらい俺にもわかる
天気が良いか悪いかもわかる、
俺にはわかる
林檎の木を見れば林檎だとわかる、
それくらいわかる
働き者か怠け者かもわかる、
何だってわかる、自分のこと以外なら。
ようするに何だってわかる
健康な顔と青白い顔の区別もわかる
全てに終わりをもたらす死もわかる
何だってわかる
自分の事以外なら。
ヒミズを娘と観た。
ヴィヨンの詩を二階堂ふみが朗読(暗唱?)するオープニングで心のアソコをワシヅカミにされた。
茶沢さんのストーカーっぷりが素敵だ。
二階堂ふみの名は忘れない。すごいな。
僕は原作付き映画を見る時に必ずしも“原作ありき”とは思わない。
映画は監督のものだ。原作者のものでは無い。
だから原作と比較してああだこうだと声高に言う原作厨はキライだ。
もしダメだと思う映画があればそれは原作と比較してダメなのでは無く、その映画自体がダメなだけなのだと僕は思う。
ヒミズは良い映画だ。
原作は読んでいない。漫画はあまり読まないのだ。
もし今後原作を読む事があり、それが素晴らしいものであってもこの映画の良さは色あせる事は無い。
映画として素敵なのだ。
申し訳ないけど、またしてもこの映画レビューには映画自体を掘り下げるような深い内容が無い。謝罪。
それは観る人がそれぞれの心の中で感じ取ってくれさい。
その勢いで『桐島、部活やめるってよ』を娘と劇場に見に行く。
団体で見に来ていた高校生が笑うタイミングで僕は泣いていた。
そういう映画だ。
娘は劇場に笑い声が起こるたびに不快感を表明していたし、隣の僕は暗闇でひっそりと涙していた訳だ。
高橋優の「陽はまた昇る」が流れるエンドロールを観ながら、あるものはエンドロールのあときっとあるであろう決着編を期待して、あるものは涙を何とか乾かそうとして…すなわちそれぞれの思惑の中で誰一人席を立とうとせずに館内が明るくなって行った。
中坊&高坊はエ〜ッという声を響かせながら映画代を損したような気分で映画館を後にしていたし、おっさんはひたすら想いを娘に伝えようと館内が明るくなってからも席を立たないで隣の娘に語り続けていた。
現役の高校生よりは少しだけ大人になった娘にこそ語っておかなければと思った訳だ。
そういう映画だ。
これは原作を読まなくては…と思った。
先ほど“原作・映画 多元宇宙論”をぶちあげたくせに舌の根も乾かないうちに何を言っているのだこのおっさんはとお思いの方もたくさんいらっしゃるでしょうが、原作を読まなくては…と思った根っこはその“原作・映画 多元宇宙論”には違いない訳で。
監督が原作をどう映像に変換したのか。僕の琴線に触れた部分を原作はどう扱っているのか。この映画に関しては知っておきたくなったのだからしょうがない。
で、さっそく帰り道で小説を買って読んだ。
で、僕がこの映画にどう決着を付けたかはいつものごとく割愛。
ただ、8ミリカメラのフレームの中で涙顔になる菊池にこの映画の想いの全てが集約されているような気はするのだ。
そういう映画だ。
実はこの歌を802で聞いたのがきっかけでこの映画を見に行った訳なんだけど。
そんな夏の日々
ミルクの中にいる蝿、その白と黒はよくわかる、
俺にもわかる
俺にはわかる
どんな人かは、着ているものでわかる、
そのくらい俺にもわかる
天気が良いか悪いかもわかる、
俺にはわかる
林檎の木を見れば林檎だとわかる、
それくらいわかる
働き者か怠け者かもわかる、
何だってわかる、自分のこと以外なら。
ようするに何だってわかる
健康な顔と青白い顔の区別もわかる
全てに終わりをもたらす死もわかる
何だってわかる
自分の事以外なら。
ヒミズを娘と観た。
ヴィヨンの詩を二階堂ふみが朗読(暗唱?)するオープニングで心のアソコをワシヅカミにされた。
茶沢さんのストーカーっぷりが素敵だ。
二階堂ふみの名は忘れない。すごいな。
僕は原作付き映画を見る時に必ずしも“原作ありき”とは思わない。
映画は監督のものだ。原作者のものでは無い。
だから原作と比較してああだこうだと声高に言う原作厨はキライだ。
もしダメだと思う映画があればそれは原作と比較してダメなのでは無く、その映画自体がダメなだけなのだと僕は思う。
ヒミズは良い映画だ。
原作は読んでいない。漫画はあまり読まないのだ。
もし今後原作を読む事があり、それが素晴らしいものであってもこの映画の良さは色あせる事は無い。
映画として素敵なのだ。
申し訳ないけど、またしてもこの映画レビューには映画自体を掘り下げるような深い内容が無い。謝罪。
それは観る人がそれぞれの心の中で感じ取ってくれさい。
その勢いで『桐島、部活やめるってよ』を娘と劇場に見に行く。
団体で見に来ていた高校生が笑うタイミングで僕は泣いていた。
そういう映画だ。
娘は劇場に笑い声が起こるたびに不快感を表明していたし、隣の僕は暗闇でひっそりと涙していた訳だ。
高橋優の「陽はまた昇る」が流れるエンドロールを観ながら、あるものはエンドロールのあときっとあるであろう決着編を期待して、あるものは涙を何とか乾かそうとして…すなわちそれぞれの思惑の中で誰一人席を立とうとせずに館内が明るくなって行った。
中坊&高坊はエ〜ッという声を響かせながら映画代を損したような気分で映画館を後にしていたし、おっさんはひたすら想いを娘に伝えようと館内が明るくなってからも席を立たないで隣の娘に語り続けていた。
現役の高校生よりは少しだけ大人になった娘にこそ語っておかなければと思った訳だ。
そういう映画だ。
これは原作を読まなくては…と思った。
先ほど“原作・映画 多元宇宙論”をぶちあげたくせに舌の根も乾かないうちに何を言っているのだこのおっさんはとお思いの方もたくさんいらっしゃるでしょうが、原作を読まなくては…と思った根っこはその“原作・映画 多元宇宙論”には違いない訳で。
監督が原作をどう映像に変換したのか。僕の琴線に触れた部分を原作はどう扱っているのか。この映画に関しては知っておきたくなったのだからしょうがない。
で、さっそく帰り道で小説を買って読んだ。
で、僕がこの映画にどう決着を付けたかはいつものごとく割愛。
ただ、8ミリカメラのフレームの中で涙顔になる菊池にこの映画の想いの全てが集約されているような気はするのだ。
そういう映画だ。
実はこの歌を802で聞いたのがきっかけでこの映画を見に行った訳なんだけど。
そんな夏の日々
タグ:ヒミズ 桐島、部活やめるってよ
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